2004年8月13日(金)晴れっ! 〜青空が目に沁み、親切が心に沁みた日〜
昨日の雨でスモッグが洗い流されたのか、雲の切れ間から青空が見える。北京に空はないと言ったのは間違いだった。
最後の観光は万里の長城と明十三陵。今回はツアーに参加。私達のパーティ専用のミニバスで、ガイドさんまで付いてくれる。初めて天候にも恵まれ、罰ゲームとはさよならできそうな予感。全員そのような思いでいるみたいだ。
ホテルを出発後、30分ほどでお約束のトイレ休憩にとお土産物屋さんへ。翡翠が主な商品のようだ。工芸品といっても気が遠くなるほどバカでかいものが置いてある。5mはあるだろう翡翠でできた帆船だ。あまりに驚いて値段は忘れてしまったが、値札がついていたので確かに売り物らしい。
恐るべし、中国。
さらに30分ほど高速道路を走り八達嶺へ。11時に到着した八達嶺長城はガイドさんの予想どおり雲ひとつ無い青空だ。12:30にバスへ集合、遅くとも13時、ということで長城を登り出す。勾配もきついし暑い。K先生と40歳を超えた女性3名(含む私)は、少し登ったところで先へ進むことを断念。「全長約6000kmといわれる万里の長城だ。頂上を極めても、ここまででも、万里の長城の一部という意味では同じことだ。」というK先生の言葉に妙に救われる。日陰に身をよせて、みんなの帰りを待つことにする。
12:20分頃には、U氏や若者たちが続々と戻ってきたが、N氏とK氏、H先生が戻ってこない。八達嶺・頂上を極め半ばまで降りて来たのは見えていたが、ちょうど死角となるところから随分長い時間姿がみえない。悪い予感がする。12:30も迫っているので、みんなにはバスに戻ってもらい私が残ることにした。
1時を過ぎた頃、K氏がH先生のリュックを背負って降りてきた。H先生が1歩も動けなくなったらしい。疲れていない私が急いで下に降り、U氏とガイドさんに知らせる。U氏はもう一度登って様子を見に行き、すぐに帰ってきた。H先生は首から下が痺れて感覚がないとのこと。レスキュー要請。ガイドさんと運転手さんが、携帯電話でテキパキと連絡をとって下さる。30分後、北京公安の人たちがタンカを持って現れるが、動いてくれない。「医者が許可しないと運ばない。以前同じ症状の人が運んでる最中に死亡した」というのがその理由。次はお医者様を待つこと30分。サイレンが聞こえた。救急車でお医者様が到着。U氏の先導でやっとレスキューが動き出した。運転手さんが自らお医者様のかばん持ちを買って出てくださる。なんとも心丈夫だ。
バスのあるところからは上の様子はまったく見えない。公安のパトカーと救急車を横目に、ただただ待つこと1時間半。時間と共に不安がつのる。バスで待つみんなの口数も少ない。運転手さんが帰って来られた。ニコニコしてらっしゃる。無事だったようだ。バスから出て、感謝を込めて深くお辞儀をした。軽く手を取り、必要ないよとのしぐさ。涙が出るほどありがたかった。H先生が歩いて帰ってきた。お医者様の診断は脱水症。日陰で水分を取り、休憩したら大丈夫といわれたらしい。通りすがりの観光客が、傘や水を提供してくれたと感激していたH先生。北京入りした日からお腹の調子が悪かったうえ、この日はカンカン照り。条件が揃ってしまったらしい。とりあえず全員で無事を喜ぶ。
昼食付きのツアーだったが時間は既に午後3:30。ガイドさんが食事予定のお店に連絡をいれ、まだ食事が出来るかどうかを確認してくださる。なんとかぎりぎりセーフ。
午後4時前に昼食(?)開始。あっさりめの中華料理が並ぶ。結構なごちそうだ。そして、なんとわかめのお味噌汁が運ばれてきた。昼食付きの八達嶺へのバスツアーでは、必ずこの店で食事をするとのこと。日本人観光客の多さを思う。ロバを却下したN氏、殆んど号泣。「ぅう、僕はやっぱり日本人なんだ。ごはんとお味噌汁さえあればいい!」
かなり時間をロスしたので明十三陵は無理だと思っていたが、「5時までに入場できれば見られる」とガイドさんが知らせに来て下さった。急いで食事をすませる。運転手さんもバスをぶっとばして下さり、こちらもぎりぎりセーフ。30分と駆け足の観光だったが、美しい庭、大きな永楽帝の像、秋めいた雲がかかった青い空と、充分に楽しんだ。
旅の最後の夕食は、色々と企画・手配してくださった留学生Fさん、院生のIさんへの感謝をこめて「ありがとうの会」にすることになった。ホテルの潮州料理のお店に集合。ビールで乾杯のあと「ごはんと味噌汁があればいい…」とか言ってたN氏が、次々とお料理を注文。まあ、人間そんなもんです。(^^;早くも思い出になりかけている数々の罰ゲームの話を肴に、大いに笑い、大いに飲んで宴は終わった。
あとは明日、無事帰国できることを祈るだけ。
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