大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_08  
このプルダウンメニュー から 直接目的のページへジャンプできます  

目次へ戻る

vol_08_04_08  8日目 4時半起きで日本へ出発・ヘロヘロ 

2004年8月14日(土)曇 〜そして、帰ってから思うこと〜

 8:30発のエアチャイナに乗るため5時にロビー集合。各自チェックアウトを済ませ、バスに乗り込む。1時間ちょっとで北京首都機場。チェックイン後出発まで2時間半もある。さすが商魂たくましい中国。朝の6時過ぎだというのに、免税品店が開いていた。が、目もくれずソファーに沈み込む。あっという間に出発時間。新幹線に乗り換えるみんなとは、福岡空港でお別れだ。また遊びましょうと約束して、お見送り。伊丹行きの飛行機までの時間をやはりソファーで過ごし、夕刻、無事我が家に到着した。

 北京で一緒だったみんなとのメールでは、すっかり「北京罰ゲームツアー」という名前が定着した。が、ハプニングが多かった分、思い出深い旅となった。

 家に帰り着いて8/7付けの新聞を読んだが、妙な違和感があった。私達はスタジアムの中にいて、外で起こったことはまったく知らなかった。が、中で起こったことは判る。日本が勝利をおさめたとき、日本人サポーターのところへ物が投げ込まれたという報道があった。でも、それは違うと思う…あくまでも私の知る限りだが。スタジアムに入るゲートは沢山あったが、何処から入るのもO.K.だった。中国の人も厳しい持ち込み検査を受けているのだ。あの時こちらへ舞い込んできたのはスタジアムの外でサポーターに配られていた、団扇にもなる紙の応援グッズだ。それは宙に舞っただけで、なんの危険もなかったと思う。大相撲で舞い飛ぶ座布団のほうが、よっぽど危険だ。 ほかにも2〜3、何かしっくりこない報道があったっけ…。

 北京で出合った人たちに、「反日・排日」を感じさせる人はいなかった。決して愛想がいいとはいえないが、いや、そもそも、一般庶民の間で、「愛想」ってなもので何とかしようという習慣がないのだと思う。道行く人も、ローカルなお店のレジのお姉さんも、仏頂面でいても、こちらから真摯な気持ちで近づいていけば、必ず懸命に対応してくれる、懐の深い人達だと実感した。私達の中にこそ、何か欠けているのではないか…とそんな反省をさせられる旅でもあった。

【前の日】  



目次へ戻る