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紅葉の季節。京都・嵐山の天龍寺界隈は大賑わいだ。この天龍寺の塔頭の松巌寺で、紅葉狩りには少し早い10月8日、とある法要が営まれた。第二次大戦後、シベリアへ抑留された人たちによる亡き戦友の慰霊祭で、60数人が御霊に祈りを捧げた。
中国東北部の旧満州で終戦を迎え、列車で帰国の途に向かうはずが、日本海とは反対の旧ソ連へ。零下何十度という厳寒、極寒の地で強制労働に従事させられた抑留者はその数60万人にも上った。ラーゲリと呼ばれる収容所で食事はごくわずかの黒パンと具のほとんど見ることのできないスープのみ。飢えと寒さに苦しみ、森林伐採や道路普請などの重労働に駆り出された。映画やドラマにもなった小説「不毛地帯」の主人公の壱岐正の生き様がそうだ。小説とはいえ、シベリア抑留の描写は実態そのものだ。
栄養失調に寒さ、重労働で疲弊しきった抑留者は次々と倒れ、帰国を果たせないまま命を落としたのは5万人とも6万人ともされている。帰還の港は舞鶴港。岸壁で今か今かと待ちわびた母らの思いはいかばかりのものだったろう。抑留者の最後の帰国は、われわれの生まれた昭和31年。抑留から10年を超える長きにわたっている。
先の法要は、帰国した抑留者が昭和46年に松巌寺に慰霊碑を建立し、毎年10月の体育の日に慰霊祭を行っているものだ。ヤゴダ会という戦友会だ。シベリアで飢えに苦しむなか、強制労働に出た森でグミのような小さな赤い実を口にし、ひとときの清涼をかこち、生きて日本に帰るんだと自ら奮い立たせることができたという。その実がヤゴダで、戦友会にはその名を冠した。
関西と関東をそれぞれ拠点とし、関西では天龍寺で体育の日に、関東では11月3日の文化の日に千鳥ケ淵戦没者墓苑で法要を営んでいる。シベリアへの墓参も重ね、私も20年前、読売新聞記者として同行取材したご縁がある。
抑留者らは戦後67年を経て、若い人でも80歳代後半。過酷な抑留生活が身体をむしばみ、同年代の人に比べて体調がすぐれない人が従前より多い。無念の死をとげた戦友の弔いに年に一度はと、駆けつける人がほとんどだが、鬼籍に入る人も続いている。
そのような中で、遺族が参加してくれるようになり、先細りでいずれはと心配されていた慰霊祭も今後も継続して開催されることに関係者も安堵している。
幹事の池上弘さんは「仲間の霊を弔うのは帰国したわれわれの責務です。理不尽なシベリア抑留で多くの日本人が苦しみ、翻弄され、無念の命を落としたということを忘れず伝えていきたい。その意味でもご遺族の方々が参加してくださり、法要のお手伝いもいただけることに感謝しています。また一人でも多くの方にシベリア抑留の悲劇を知っていただくことを願っています」と話している。
10月の法要では、霊前に大福餅がたくさん上がった。大福をたらふく食ってみたい。抑留されたラーゲリで、そんな夢を見て唾を飲み込むのが最高の楽しみだったとも聞いた。
それを果たせず、凍土の下に眠ってしまった若き仲間たち。天国で甘い大福を味わっていただけただろうか。
〜写真説明:松巌寺の境内に建つシベリア抑留死者の慰霊碑〜
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