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茨田通章さんのお母さんと徳野(池田)千鶴子の母とは、箕面の萱野小学校での友人でした。女子の大学進学が一般的ではなかった当時、通章さんのお母様は、家族の反対を押し切って、自転車にアイスキャンデーを積んで売り歩き、今の大阪教育大学を卒業されたそうです。
大手前高校に入学された通章さんは音楽好きで東京藝大ビオラ科を目指すため、山本(田中)マヤさんにピアノを習われました。マヤさんのご実家は通章さんのご実家である願光寺のすぐ近くなのです。マヤさんのお父様、私の両親、ともに通章さんのお父様、お兄様(大手前卒)を導師として法要を執り行っていただきました。2012年に私の両親の七回忌を願光寺で行ったのをきっかけとなり、その前年、何十年ぶりかで再会された通章さんとマヤさんの「いちど一緒に演奏したいね」という思いが結実し、マヤさんのお父様の十三回忌の7月にマヤさんのご実家での音楽会となりました。
この音楽会が開けたのは、マヤさんの幼ななじみの伯耆(横井)晶子さん、同級生の村田(砂田)一美さん、そして何より、マヤさんのご夫君のご協力のおかげです。願光寺のご住職は、「亡くなった人のことを嘆き悲しむのではなく、亡くなった人は自分が生かされていることに気づくきっかけを作ってくださっている」といつもおっしゃっています。このご縁の不思議なつながりに畏敬の気持ちを持たざるをえません。
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