大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_09  
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vol_09_03    ラオスのおはなし  真田正明 

 みなさんご無沙汰しています。もう2年近く前になりますか。ジャカルタにいるころに一度、この欄に書かせていただきました。3月にそのままバンコクに移ったので、東南アジアでの生活もかれこれ4年近くになろうとしています。バンコクでは私ともう一人の記者でタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーの5カ国を担当しています。今回はたぶんみなさんにとって一番縁のないラオスの話をしましょう。

 私自身、ラオスには10年以上前カンボジア特派員をしていたころに、カンボジア国境からちょっと入ったことがあるだけでした。カンボジアの田舎と変わらないな、というのがそのときの印象でした。11月下旬、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国、それにインドやオーストラリア、ニュージーランドの首脳が集まる会議がラオスの首都ビエンチャンであり、1週間あまり出張しました。そのときの話です。

 ビエンチャンは本当に小さな町です。建物は新しいけどボーディングブリッジが一つしかない空港から車に乗ると、10分ほどでもう町の中心部です。といっても大きなビルがあるわけではなく、人通りも車も少なく、ぼうっとしているとそのまま通り過ぎて町の反対側に抜けてしまいそうです。町はメコン川に面していて、対岸はタイ領です。メコンには豪州の援助でできた「友好橋」が架かっていて、普段は人や物資の往来も盛んです。インドシナの戦争の時代が終わり、社会主義のラオスにもタイの経済が進出していく。10年前、そんな時代を象徴するようにできた橋です。

 町にはせいぜい5、6階建てまでのビルに混じって、フランス植民地時代の雰囲気を残す古い洋館も多く残っています。2ヶ月前にも下調べのために来ていたのですが、その時と何か町の様子が変わっています。どことなくきれいになったような。地元の人に聞いてわかりました。なんと一斉に表通りの壁や塀を白く塗りなおしたのです。数日前に当局からの指令が来て、みんな自己負担で塗ったそうです。公務員給与が30ドル程度の人々にとっては、急なペンキ代の出費は痛かったでしょうが、そこはやはり社会主義、有無を言わさぬところがあるようです。そのせいか塗ってあるのは塀の表だけで、裏はカビが生えたままという家も多かったように思います。道路に突き出した商店の軒も、なぜか目障りだといわれて取り壊させられたそうです。最近軒を修理したばかりの商店主は、泣く泣く壊していたとか。

 97年にASEANに加盟し国際社会にデビューしたラオスにとっては初の大きな国際会議なので、その意気込みと緊張ぶりは並ではありません。何せホテルの数がどう見ても足らないので、外務省がすべてのホテル、ゲストハウスを仕切って、部屋を代表団や取材陣に配分するという思い切った手を使いました。朝日新聞が独自に予約していたホテルも、このために強制的に解約させられてしまいました。どんなところが割り当てられるかはぎりぎりまでわかりません。うちに回ってきたところは比較的よかったのですが、ある日本の新聞社が割り当てられたゲストハウスは、電話はない、テレビもエアコンもない、シャワーのお湯は出ないという、どうしようもないところだったそうです。

 首脳自身はみんな会議用に新しくつくった各国ごとの1戸建てビラに泊まりました。ビエンチャンで一番いいホテルはラオプラザといいますが、ここは韓国の代表団に割り当てられました。日本の代表団は、それから2つぐらい格落ちのところでした。最大援助国の日本がなぜそんな扱いを受けるのか、と思ったら、韓国は首脳会議用にリムジンを20台ほど寄付したのだそうです。日本はODAでそんなものは出せない、と断ったとか。

 ラオスの情報はなかなか外に出ません。外国人特派員の常駐を認めていないし、地元メディアはみんな国営のようなものだからです。でも政府は少数民族などの反政府派の破戒行為に相当神経質になっているらしく、会議期間中の警戒は大変なものでした。一般のビザ発給を停止して会議関係者以外のビエンチャン入りは禁止、車両も特別な許可がないと流入禁止、そして飲食店や商店は午後10時に閉店です。夜の町は人気がないうえ警官だらけになって、まるで夜間外出禁止令下のようです。期間中に友好橋のそばで小さな爆弾事件があったようです。でも政府は何も発表しないので、はっきりしたことはわかりません。

 会議の取材では昼間は会場に縛られてしまうので、唯一の楽しみが夕食です。しかし10時閉店だと、少し仕事が遅くなると晩ご飯にありつけなくなります。まったくここの政府は、客をもてなすということを考えていないのか、とみんな憤慨していました。

 でも何とかぎりぎりにレストランに飛び込むと、結構美味しいものがあります。ラオス料理自体はタイの東北料理に似ているので、バンコク在住のものにはそれほど珍しくはありません。しかし、いいものがありました。マツタケです。ラオスは山がちなので、季節によってはいいマツタケが採れます。レストランではラオス風のスープか、焼きマツタケで出てきます。やや酸味のあるスープはマツタケの香りが生かされていて、なかなかの出来。実もごろごろ入っています。焼きマツタケは、きっと日本人の客が教えたのでしょう。網で焼いて醤油がついて出てきます。大人の指ぐらいの小ぶりのものですが、1皿に10本ぐらいのっていて、日本円にすると数百円でしょうか。

 これにラオスのビールを合わせると最高です。このBEER LAOというビールはタイ資本がフランス製の設備を使ってつくっていますが、タイのビールより美味しい気がします。98%は国内消費だそうですが、日本でも見かけた人があるとか。もし見つけたら試してみてください。メコン川沿いにもいくつかレストランがありますが、そのテラスで川に沈んでいく夕日を見ながらBEER LAOを飲むというのが、ビエンチャンの至福の時間だそうです。

 ビエンチャンにはもちろんお寺などもたくさんあります。会議が終わった次の日にいくつか見てまわりました。でも、そのへんはガイドブックを見てもらった方が詳しいのでやめておきます。ただ一言述べさせてもらうと、お寺やお坊さんの様子は、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーいずれもよく似ています。どこもスリランカから入ってきた上座部仏教なので当然ですが。タイ語はラオスでほぼそのまま通じますし、ビエンチャンの人はラオスの国営テレビよりもタイのテレビを見ています。バーツもそのまま流通しています。この4カ国の文化的な差は、インドネシア1カ国の地域的な差よりも小さいと私は思います。そのあたりの詳しいことは、また機会があればお話します。

 せっかくですから首脳会議の話も少しだけ。この会議で決まったことは、大まかに言って2点あります。一つはASEAN内の統合を具体的に進めるためのビエンチャン行動計画を採択したこと。もう一つは東アジア共同体への第一歩となる東アジアサミットを来年開催することを決めたことです。ASEANは2020年までに政治・安全保障、経済、社会・文化の3本柱での統合を達成する計画を進めています。欧州のような単一通貨、共通外交というわけにはいかないでしょうが、新しいアジア型の共同体づくりの実験が始まっています。しかし、日本、韓国、中国などを含めた東アジア共同体は一筋縄ではいかないでしょう。日本の周囲の北東アジアには、まだ深刻な対立が残っているからです。これを取り除くには日本の積極的な行動が必要だと思いますが、小泉政権にはどうもその意識はなさそうです。

 東南アジアが共同体作りに向かい、インド・パキスタンも雪解けの方向にあるときに、アジアで最も和解、安定への動きが遅いのが日本周辺であるということ。それは日本に住んでいるとあまり気がつかないかもしれません。しかし、このままだとどんどん世界の流れから遅れていくような、私はそんな気がしてなりません。

 バンコクに戻ってみると、街中に屋外ビアガーデンが次々にオープンしていました。バンコクでは、雨が降らず朝夕涼しくなるこの季節が、ビールの季節なのです。暑い時期は夕方もまだ蒸し暑く、冷房のないところでビールを飲む気にもならないということでしょうか。メコン河畔で夕日を眺めながらの一杯というのも、次回ビエンチャンに行ったときにはぜひ実現したいと思っています。

クリックすると拡大表示  この写真はラオスの人気歌手ノイ・センソウリグナさん。一緒に食事をする機会があったので。欧州で建築学を勉強し、国営放送の英語ニュースのキャスターでもあるという才媛です。頭の固い政府を相手に、少しでもラオスに新風を吹き込みたいと努力しています。ラオスの子供たちにも歌や踊りを教えています。応援したくなるのは、美人だからというだけではなく・・・。


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