職業柄,辞書を引くことが多いようです。読書中,あるいはテレビでアナウンサーの表現が気になると辞書に手が伸びます。知識を確認する意味もあります。
永年,辞書を相手にしながら,読んですぐ内容が理解できないことがたくさんあります。たとえば次の説明を読んでどれだけの人がわかるでしょうか。
アイデンティティー[identity]
人格における同一性。ある人の一貫性が成り立ち,それが時間的・空間的に
他者や共同体にも認められていること。自己同一性。主体性。
(『広辞苑』)
英語の辞書ではどうなのだろう。
identity
(1)個性,独自性,自分自身であること,身元,正体。
(2)全く同一であること,同一性,同一状態,一致。
わからないから辞書を引く。そうしたらますますわからなくなるでは困るので,自分で意味を考えてみなければならない。以下はそうした試みの一つです。
identify(名詞identityの動詞形)
[「二つのものがぴったり重なる」が本義。]
<人が><人・物>を本人であると認める。同一物であることを認める。
「二つのものがぴったり重なる」という表現に思い出すイメージがあります。
大学を出て就職してすぐ,一時期,カメラに熱中していた時がありました。
1960年代の初め,一眼レフが出始めた頃で利用者は少なく,多くのカメラのピント合わせは「距離計連動」のタイプでした。カメラのファインダーを覗くと写す対象の画像が少しずれて見える。離れて見える二つの画像が重なるまでレンズの胴を回す。二つの像が重なった時,ピント合わせが終ったことになるのでシャッターを切る。
面倒に思えるでしょうが当時はそれが普通で,現在もクラシックカメラの愛好者はそういう手続きを楽しんでいます。ピント合わせで二つの画像が重なり合う瞬間の快感は一眼レフにはないものでした。
いつの時代でも,若者は自分がどう生きればいいか迷っています。どういう人間になればいいか,それが見つからないことに悩んでいます。父のように,あるいは尊敬する誰かのようになるというイメージがつかめずに悩んでいます。歌舞伎役者のように「家業」のある子は幸せです。
多くの場合,「好きな道を選べばいい」と親にいわれて迷うのです。個性,才能という以前に,平凡な勤め人の生き方を選ぶにしても悩むのです。女性の場合,職業人として生きるか,結婚して家庭に入るかでも悩みます。
「それでいいのだろうか,もっと違った生き方はなかったのか…。」
identity crisis[(思春期における)自己認識の危機]というのがそれでしょう。
二つの「自分」がある,と考えたらどうでしょう。「かくある自分(現在の自分)」と「かくありたい自分(あらまほしき自分)」。前者が存在することは自明のことですが,後者はどうだろうか。
自分がどう生きればいいかという悩みは,「自分の個性を伸ばし,自分でなければできない何かをして見たいが,それが何か,それが見つからない」という悩みでもあるのです。「それがわかればなぁ」という嘆きなのです。
その場合,悩みの果て,試行錯誤を繰り返しているうちに,もう一つの自分,「かくありたい自分(あらまほしき自分)」の姿が必ず見えて来ます。「現在の自分」と「あらまほしき自分」の間の距離が隔たっていようが,見えさえすれば距離を埋める努力が可能になり,力も湧いて来るのです。
よくいわれる「自分探し」とは,「現在の自分」に「重ねあわせ,同一化」することの出来る「もう一つの自分」(「あらまほしき自分」)を見つけることなのでしょう。それが見つかればアイデンティティーを確立することが出来ます。
そういう意味で「アイデンティティークライシス」は思春期だけのものではないのです。真面目に人生の意味を考えながら生きている限り,人生の節目に何度も訪れるものなのです。
私自身も大きいアイデンティティークライシスを三度経験しています。
第一の危機は二十歳を超えた頃,第二は四十代の半ば,第三は定年を前にした五十七・八歳の頃,いずれも「うつ」の状態がひどく,そこから抜け出すのに二年近くかかりました。
抜け出す方法,「あらまほしき自分」の見つけ方に「王道」はありません。時間をかけて悩みつづけるより方法はないのです。真面目に生きていると必ず悩みに突き当たるものだし,真面目に悩み続ければ必ず壁は突き破れます。
いずれにしても,若いときは別にして,自分の能力に不相応な夢を追いかけないこと,自分自身の力の限界を悟ることが大切です。何をしたいか,何が出来るか,何が出来ないか…。そのうちに目の前が明るくなります。自分が何をすればいいか,わかってきます。
夢を追ってとか,理想の実現のためという,その「夢」の中身,「理想」の正体が自分に見えないことにいらだっていたということが,わかってきます。
ここで文章の冒頭に戻り,改めて辞書の説明を読めば「アイデンティティー」のイメージが少しはつかめたのではないでしょうか。辞書はわからないことを調べるものではなく,自分が考えたことが正しいかどうかを確認するためのものでもあるということがわかるでしょう。
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