2004年8月7日(土)曇 〜サッカーアジアカップ観戦記〜
某大学の「北京国際心理学会」ツアーにのっかっての初めての北京。日本ではチケットの値段が高騰してあきらめたアジアカップ決勝だったが、ホテルに着いてみると、なんと900元でチケットが取れたと言う。友人の教え子の留学生(今回のツアーにも同行)が、北京の友達に頼んでおいてくれたらしい。ホテルの近くにあったカルフールで食べ物や飲み物を仕入れて、いざスタジアム、北京工人体育場へ!
日本人は一つのブロックに集められるので、チケットの座席番号は意味がなくなった。げろげろ、200元の最低クラスのブロックだ。入り口では厳しい荷物のチェック。用意した8名分の食べ物や飲み物は、パンとスティック・ソーセージ以外すべて没収。福岡発のエアチャイナで、泣きそうになるくらい寂しい機内食がお昼ごはんだったのに。と主に食べ物の没収に気落ちしていたが、高い気温と湿度のなかで、飲み物没収がもっと痛かったことを後に痛感する。
真っ赤に染まったスタジアムが歓声に包まれ、選手登場。予想通り日本の国歌は激しいブーイングにかき消された。少し寂しい思いがした。試合が始まると、もう座ってなんかいられない。全体の2〜3%ほどに過ぎない日本人サポーターが、頭の上で手拍子をうちながら「ニッポン」を叫ぶのだ。もちろん私も翌日声が出ないほど、叫ばせて頂きました。中国のサポーターは、"チャ・イ・ナ・(1拍おく)"の4拍子で声援を送る。日本の声援は"(手拍子)・(手拍子)・(手拍子)・ニッポン"と同じく4拍子。試合が白熱してくると、双方声高に声援を送るのだが、中国の(1拍おく)ところに、すっぽりと"ニッポン"がはまって、なんだか共同作業(?)をしているみたいな、妙な一体感が嬉しかった。ともあれ1対3でニッポン優勝!いや、久々の感動だった。
試合後は報道等でご存知のとおり、2時間ちょっとの軟禁状態。北京市公安が用意してくれたバスに分乗し、パトカーに先導されてスタジアムを離れる。
ホテルに帰り着いたのは、夜中の2時前。考えてみたら、昼食から飲まず食わずで疲労も限界。手もとに残ったパンとソーセージを侘しく8人で分け合いながら、友人U氏がつぶやいた。「いったい何の罰ゲームやねん…」
【次の日】
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