大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_24  
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vol_24_03   また、会おう by でぃ・あんく 

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「時が戻る」…同窓会とはそういう「場」である。 特に高校時代の同窓会ともなれば、「変わらない」ことを発見する方により大きな喜びを覚えたりするものだ。とは言え、「戻らないもの」は厳然として在る。「あのころ」や「思い」という漠然としたものだけでなく、「二度と会えないひと」たちも、そのひとつである。

黙祷 今回の記念同窓会では、幹事団からの提案で初めて「物故者への黙祷」の時間を設けた。 それだけでなく、同窓会終了後、「幹事長」小林氏の発案でご遺族に住所録と近況集を届けたのである。郵送させていただいたケースもあるが、幾人かの場合は小林氏や有志数人がご遺族を訪問し、住所録と近況集をご霊前に供えさせていただいた。ありがたいことに、どのご遺族からも感謝の言葉をいただけた。我々も、子を持ち孫を持つ年齢になり、ご遺族のお気持ちも少しは推し量れるようになったかと思う。そのいたみ、いかばかりか。
小林氏のコメントを一部参照させていただく。

親御さんからは、息子や娘のことを覚えていてくれてありがとうと何度も感謝されました。もう高齢で亡くなられた親御さんもありましたが、ご霊前にお線香を上げさせてもらえたことが何よりでした。お話ししながら、亡くなった私の父母とかぶるところがあり、感無量でした。みなさんに感謝されており、お訪ねすれば快く迎えてくださると思います。

今までの住所録整備では物故者の連絡先を把握しておらず、わからなくなっていたものも多い。今回あらためて連絡先を探したわけだが、それにも幹事をはじめ同窓生各位のご協力があった。ここで感謝を表したい。

一方、連絡が取れなくなっていた同窓生から新たに連絡が入ったり、連絡先がわかったり、という嬉しいこともたくさんあった。これも皆様方のご協力あってこそである。 メールで捜索依頼が出ると、間髪を入れず反応が返ってくる。2000年の同窓会のころはほとんどFAXでやり取りしていたことを思うと、大げさだが隔世の感である。 中には、同窓会の案内や「捜索」を迷惑だと思う向きもあるかもしれない。ひとそれぞれ、人生の一時期には同窓生に会いたくない、連絡を取りたくないと思うときもあろう。実際に迷惑がかかったならば、幾重にもお詫びしなくてはならない。けれど。 「会えるときに会おう」…人生は一期一会、とこのごろは痛感するようになった。だからこそ。
きっと次回も、慎重に配慮しつつ、連絡先を探し続けることだろう。同窓会という「場」が、「帰る」場所であるために。

とにもかくにも35年。あの大手前の庭で、会えて良かった。おかげで今の私には、素顔で帰れる場所がある。あのとき一緒に学んだ全てのひとに、感謝を。

最後に、宴には参加できなかったが、3−9の細田正和氏から、同窓会の写真サイトを見てのコメントが寄せられたのでここに掲げておく。

35年同窓会の写真をお送りくださり、ありがとうございました。 盛況の様子が、生々しく(1次会)、派手派手しく(2次会)、毒々しく(3次会?)伝わってくる出色の写真ドキュメントでした。

僕もぜひ、と思っていたのですが、業務が爆発しており、残念ながら失礼しました。 森先生、河崎先生はじめ、先生方のかくしゃくぶりも、ありがたく印象的でした。

また羽根君ご遺族の消息がわかったと伝え聞き、感謝。ご両親に案内されてのお墓参りが、昨日のことのように思い出されます。妹さんがお元気な様子を知ることができて、何よりでした。
日ごろ僕たちは、物故者慰霊といえば「先輩に対して」と思いがちですが、実は全然そうではないですね。僕らがそういう年代になったこともあずかっていますが。 生き残りは、残された時間を思い切って生きるほかに、弔いの途はないようです。 また、ゲラゲラ笑ってメシをくいましょう。


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