大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_23  
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vol_23_01    中川先生の金蘭会セミナーに参加して by くるくる 

  2010年9月17日(金) 於:金蘭会館
  講師:中川寿郎先生  インタビュアー:小林一則氏

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金蘭会セミナーに参加するのは二度目である。以前は母校の正門から入って、なにやら面映い思いをしたが、今回来てみればセミナーのために通用門が開けられ、金蘭会館へとスムースに入っていけるようになっている。近い上に段差が少なく、こちらの方が便利である。会館には…おお、なんとエレベーターがあるではないか。高齢者も多い受講者には大変親切な配慮と言えよう。
なんと141回を数えるというセミナーの会場は相変わらずの盛況。中川先生の作られた玉の拓本と書が貼り出され、そのユニークでバランスの取れた図像が目を引く。「かわいい…」という声もちらほら。

中川先生と小林氏 この度の中川先生のセミナー「古代中国・紅山文化の魅力」は、<紅山文化>という言葉になじみが薄いこともあり、同期生の小林一則氏がインタビュアーをつとめるという特別な形で進められた。読売新聞に籍を置く小林氏はさすがに知識も豊富で、スムースに質疑応答が進み、大変わかりやすく感じた。

紅山文化とは、中国北方、遼河流域(現在の内モンゴル周辺)に存在した新石器時代の文化である。「紅山文化」と命名されたのが1954年のことであるから研究の歴史は未だ浅く、発掘も研究も今後が俟たれるところ。耳慣れないのも道理というわけだ。
それにしても、紀元前4700年から…といえば四大文明より古い! 黄河に加えて長江の文明が先ごろ話題になったが、遼河流域もなのか…浅学の我々ははぁそうですか、と驚くしかない。
その上セミナーでは、紀元前7000年に遡るという古朝鮮文明の説も紹介された。この説と先生との出会いは、今年の春に行われた「拓本展」でのことだったそうで、「これも<縁>です」と語られたのが印象的だった。後で聞いたところによると、古朝鮮こそが中国文明のもとであるという主張も在野の研究者などからなされているようだ。

中川先生(I) 様々な出土品の図像が写真と拓本をもとに紹介されていく。その造形は優れているだけでなく、おおらかで明るい。先生にマイクが渡ると、古代中国にも古代日本にも同じような図像が見受けられること、さらに、拓本に添えられた般若心経や聖書のことばにも話が及び、先生の解説にますます熱が入る。
先生の中では、はるか何千年の昔の人々も、現代に生きる私たちも、<縁>で結ばれたもの同士、同じように見えているのに違いない。

それは、「モノ」が作り出す<縁>であるとも言えるのではないか。 私などは、書かれた文章から得た「既にある知識」を通じて歴史や文物を見るが、それは一種偏った見方かもしれない。先生は、「現にそこにあるモノ」をまずご覧になる。実物が様々な方向から光を与えて、先生の思考を導くのだ。しかも、先生の視点は常に謙虚で感謝に満ちている。

中川先生(II) 先生が熱く語られるのは、「学説」というよりひとの営みそのものである。 記録も残らぬ時代から営々と続く人間の営み。 はるか昔から、ひとが生きていくうえで見るもの、求めるものは不変である、「モノ」が語るそうした声を、先生は実物に触れながら聴き取っておられるのではないだろうか。それをカタチにしたものが拓本の作品群なのだ。
今在る文字も宗教もなかったころから今に至るまで、変わらずひとは「ここにはないもの」「不変なるもの」「世界の理」といったものを求め、生きた証を残そうとしてきた。そういう営みをまるごと、先生は見ておられる。熱く語れど語り切れない、先生のご様子を見て私はそう感じた。
私も、まずモノと向き合おう。知識ありきではなくて、モノから謙虚に受け取るものを知識としよう。そういう「知り方」もあるのだと、今宵は実感した。

先生、ほんとうに、生きて、見て、知ることって、面白いですよねぇ。ありがとうございました。


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