大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_22  
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vol_22_01    世田谷美術館冬のガイドツアーから 3-3 島崎義治 


エントランス 昨年2009年12月13日(日)、僕は首都圏に住む同窓生を対象に世田谷美術館ツアーを行ないました。徳野千鶴子さんに企画して頂いたのですが、あいにく参加できなかった多くの人のためにぜひ、「紙上ツアー」を!という要請があり、この始末記と相成りました。でも、当時の記憶がすでに薄れてしまい(まだ、半年くらいなのに、、、、、!)案内メールを探し出してくると、、、、、次のように案内していました。

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  世田谷美術館では12月12日より、2010年2月28日まで
  「内井昭蔵の思想と建築 自然の秩序を建築に」と題した企画展が
  開かれます。
    http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html
     ・・・・・(中略)
  内井昭蔵とは私自身が1982年に上京して師事して以来2003年まで
  所属していた設計事務所の代表であり、この世田谷美術館をはじめ、
  天皇陛下の吹上新御所など多くの建築を生み出してきた建築家です。
  (残念ながら2002年夏に羽田空港で急逝したのですが)
    http://www.uchii.co.jp/
     ・・・・・(中略)
  日曜日の貴重な一日ですが、周辺には砧公園の広大な芝生も広がって
  緑豊かな場所でもありますので、時間と興味のある方はぜひ、ご一緒
  できればと思っています
  世の中の"建築や住まい"って、無機的で冷たいものも多いですが、
  生活や文化の象徴として考えられた建築もあるのだなと思っていただ
  ければ幸いです。
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企画展は「内井昭蔵の思想と建築」をキーワードに、その足跡を写真・模型・映像、そして設計図を通して回顧するものでありました。

この企画が最初に持ちあがったのは11月の終わり頃。2月28日までの会期中、1月中旬からはセンター試験をはじめ、入試や卒業試験などで2月後半まで大学があわただしくツアーガイドを務めるのが難しいなぁと思いながら、また同時に年末はまずいなぁとも思いながら、、、結果、一番参加の難しい師走真っただ中にツアーを行うこととなってしまい、多くの方のスケジュールに合わせることができませんでした。まずはおわびを。

僕自身は12月12日のレセプションに続いて2日連続の美術館通いとなってしまいました、、、。

遊歩道 世田谷美術館は1982年にコンペティションで内井昭蔵が建築家として選ばれ1985年に完成した美術館です。用賀駅からプロムナードを歩いて20分。プロムナードは住宅地をぬうように、せせらぎや木々、ベンチや彫刻、アート、ショップなどで彩られた素敵な小道です。それを抜けると環状八号線(幹線道路)越しに大きな森のような砧公園が見えてきます。

煙突 その奥には清掃工場の煙突も見えますが、美術館にあわせて、白と緑と青の3色で環境に溶け込むような迷彩模様に塗られています。パリ郊外デファンスにある高層アパートのデザインと同じなのですが、、、、。砧公園の小高い木々のなかを抜けてゆくと、うずもれるように佇んでいるのが美術館です。

砧公園に隣接した緑豊かな公園美術館で、大きなクヌギやヒマラヤスギを残しながら、パーゴラや回廊といった人と自然をつなぐ手法を取り入れ、人間性溢れる美術館、訪れる人がだれでもくつろぎ、いつまでも居たくなるような楽しめる、快適な空間を目指しています。それを生活空間化と僕たちは呼んでいます。

遠くから見るとコンクリートのように見えるかもしれませんが、その表面には正方形の 凹凸状のタイルがびっしりとデザインされて、外壁に柔らかな表情を与えています。 ガラス面も多く、建築の周囲にはパーゴラ(藤棚状の植物棚、世田谷美術館ではムベ棚)や回廊の柱に正三角形のトラス状のモチーフを多用するなど光と陰で覆う特徴的なディテールなどによって、砧公園の緑が美術館とつながるようになっています。
エントランス また、閉じられたように見えるエントランス内部は白い大理石と光の天井に囲まれていて驚くほどの広がりを持った空間であり、ここから回廊によって奥へ奥へと導かれていきます。エントランスの明るさ、回廊の暗さ、ガラス張りレストランの明るさと、歩みを進めるほどに光によってわくわくとさせられます。
美術館の中央には、石積み、斜めの壁、流れ落ちる水の膜に囲まれてサンクンガーデン(地下庭園)がデザインされていて、その上部をめぐる回廊などの構成も平地に作られたとは思えない程に有機的な形状です。

世田谷区は在住の芸術家が多く、美術館自体の収蔵品だけではなく多様な創作活動も行われています。当時は企画する美術館と言えば西武美術館(後のセゾンミュージアム)くらいしか例がありませんでしたが、現在日本で有数のキュレーター(学芸員)である長谷川祐子さんをはじめ多くの優秀なキュレーターを輩出している点でも企画・運営力に溢れた美術館であると言えます。

徳野千鶴子さんの寄稿を読んでいただきながら、美術館の雰囲気を楽しんでください。そして、ぜひ、一度訪れてみてください。

 世田谷美術館フォトギャラリー へ 


企画展の主=内井昭蔵は、日本を代表した建築家であり、僕の建築の師でもあります。 東急田園都市線の宮崎台ビレッジや桜台コートビレッジなど45年たった今でも住み手が待っているという有名な集合住宅を手掛け、世田谷美術館、高円宮邸、平成天皇の吹上御所、関西では洛西の国際日本文化研究センターを設計し、晩年は早稲田出身ながら京大教授となっています。
2002年8月に学会出席のために向かった羽田空港リムジンバスの中で倒れ69歳で急逝してしまいました。バスで隣に座っていた嵐山光三郎がその様子を週刊朝日に詳しく書いており、胸を打たれるものがありました。

建築家を目指す学生は就職場所として、憧れの、あるいは目指すべき建築家の下で何年も修業します。手塚治虫や石森章太郎、赤塚不二夫など巨匠に師事する漫画家の卵のようなものですね。
僕自身も大学院時代に内井昭蔵に師事しようと決め、1980年の夏休みに1ヶ月東京の事務所へ押しかけた後、入所を許可してもらいました。それが1982年。ちょうど3月に2-1同窓会があって、東京へ送り出してもらったのですが、2ヶ月のウェイティング状態の後、6月から正式に勤め出しました。なんと入所待ち!。当時の僕にとって建築家に師事するということは大変な、人生を懸けた一大事だったんだと今でも実感しています。
でも、最初の仕事がこの世田谷美術館だったのは非常に幸運でしたし、それゆえ思い入れの深い作品となっています。

世田谷美術館に携わった後、僕は宮内庁の高円宮邸や横浜市の林間学校である赤城林間学園、大正時代の挿絵画家の作品を収めた蕗谷虹児記念館、国際日本文化研究センターなどを担当しました。そして、そのあと明治学院と運命の出会いをし、15年にわたる長いプロジェクトの完成までつきあうことになってしまいます。

チャペル 明治学院は黒船来航の翌年に来日したヘボン博士が開校した古いミッションスクールで、創建当時の宣教師館、関西学院や神戸女学院の設計者として有名なヴォーリズのチャペルも残されていて、僕ら建築家の想像力を喚起してくれました。2003年、これらの修復も含む全てが完成し、僕は独立、大学の教員となりましたが、明治学院との関係は今も続いています。なんと22年!

山田耕筰や武満徹の自筆譜などが収蔵されている麻布の日本近代音楽館を明治学院が継承することになり、キャンパス内に再建築のため、そのデザインを今進めています。5月はそのデザインに悩み、この原稿が大幅に遅れてしまったのですが、その近代音楽館も光り輝くメタルのスクリーンに囲まれた新しい姿が2010年9月に完成し、来年春から正式に公開される予定です。

明治学院白金キャンパスはとてもかっこいい、、、と評判です! それは学生を自立した対等の人間と考えることで生まれました。学生だからこの程度のものでいいというのではなく、学生だからこそ、この豊かな空間が必要であると考えて新しいキャンパスの形をつくりだしました。

下記のURLで写真をご覧ください。このホームページでは、明治学院を逍遥する気分になっていただけます。 写真を見て、かっこいいなぁと思っていただけることを願います。

 明治学院白金キャンパスフォトギャラリー へ 


正門から順に奥へと進み、チャペルや古い宣教師館を通り抜けていきます。創建時の宣教師館での濃密な教育の姿を思い、煉瓦の質感から窓の形状まで参考にしました。また、もう一つ参考にしたアメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソンの設計したバ ージニア大学の豊かな姿なども掲載しています。
グラウンドから広場へと、次第に内部へ入り込むように写真を撮っています。一番奥にはモスバーガーなども入ったダイニングやラウンジのあるゾーンとなっており、最後に東門で終わっています。東門はこれまでにない大学の門をデザインしました。マジックハンドのように伸縮します。お楽しみに!

東門

島崎義治 建築家
/島崎義治建築設計事務所
/人間環境大学
/コミュニティシンクタンクCT


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