奈良は飛鳥で、中川先生が個展をなさると聞き、出かけました。
前回、大阪メリヤス会館での「二人展」で紅山文化の玉の拓本と先生の書を拝見したのですが、今回は奈良で…というのにも魅かれたのです。飛鳥の地で見るそれは、さらにすばらしいだろうと期待が膨らみます。
春まだ浅い3月の初め、飛鳥の駅に降り立ったその日は、「雨オンナ」のわたしにふさわしく雨でした。平城遷都1300年に沸く奈良ですが、飛鳥の地は静かにわたしを迎えてくれます。桜花の声も未だ聞けない時季なのに、みどりの気配に包まれるあの感触。関東に住んでいると、平野が広くてどこにも山の姿が見えません。見えるのは遠く霊峰富士のみ。近々と山が迫り、山に抱かれる幸福は大和の地ならでは。「山ごもれる やまとしうるはし」などとつぶやくと目が潤みそうになります。ああ、やっぱり畿内はいいなぁ…。
さて、「画廊飛鳥」へ。ここがまた、たいそう雰囲気のある平屋でした。物静かなオーナーと共に、中川先生がお元気な姿で迎えてくださいます。ゆっくりと、見てまわりました。紅山の玉や璧のおおらかな拓本。書の自在。胸の真ん中あたりに凝っていたカタマリがゆるゆるとほどけていくのがわかりました。
前回も思ったことですが、何千年も前に、あんなに固い玉をよくもまぁ彫ったり磨いたりできたものです。中国に限らず、エジプトやインダスなど、古代の文明の作り出すものにはいつも驚嘆させられます。斬新な意匠も素晴らしい上に、現代のような道具もない中でどうやって…と。当時の人は生きるだけに精一杯であったろうに、と思うのは現代に生きるわたしの傲慢かもしれません。うつくしいもの、至高のものに対する真摯な気持ちはいつの日も変わらず、そうしたものに向ける時間がたくさんあっただけ、古代の方が豊かだとも言えるかもしれない。
先生は、そういう古代に対する素直な驚嘆をそのままに、書を添えておられるように見受けました。あまり馴染みのない紅山文化の玉ですが、先生の作品を見ていると「腑に落ちる」というか、しっくりと馴染むのです。ときに般若心経、時には福音書のことばまで自由に渉猟し、貴重な玉との出会いを導いておられると感じました。
帰りに、先生が猿石のあたりを案内してくださいました。ほんとうに、何年、いや何十年ぶりかしら。なんだかきれいになっちゃったような。先生が「ここの景色が好きでね、毎日来てるんだよ」とおっしゃる場所で飛鳥らしい風景を堪能、うっとり。
あまりにも立ち去り難かったからでしょうか、わたしは駅前で傘を忘れてきてしまいました。電車の中で気づいておろおろウロウロするわたしを尻目に、友人がてきぱきとギャラリーのオーナーに電話してくれ、傘は後日我が家に送られてきたのでした、きちんと畳まれて…うぅ、恥ずかしい。
今わたしの手元には、あのときギャラリーで求めた先生の作品があります。璧のまわりをゆるやかに魚が舞い、添えられているのは鳥居龍蔵のうた。シブい。先生が後で送ってくださった玉の拓本(寅、と呼んでいます)も、日々わたしのそばで幸いをもたらしてくれています。先生、ありがとうございました。
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