大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_13  
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vol_13_01    <のすたる爺通信 9> 森 延哉 

石垣りん  話は少し古くなりますが、二年ばかり前に詩人の石垣りんさんが亡くなられて(04.12.26)「お別れの会」に出席したことがあります。石垣りんは高校の教科書にも作品が載っていて、その名の示すとおり「凛」とした生きざまが感じられる作品で、多くのファンを持っています。
 彼女は、14歳の時、高等小学校だけの学歴で銀行に入り、戦前から戦後にかけての激動の時代を陽の当たらぬ下積みの仕事で終始して定年まで勤めました。「男でなくて良かった。女はエラクならなくてすむ」と書いています。

 この文章に出会って、仕事とは何か、エラクなるとはどういうことなのかと、しばらく考えこんでしまいました。
 同じ職場の中に「エラクなる仕事」と「エラクなれない仕事」が存在しているようです。家庭内でも事情は同じで、外で「エラクなる仕事」をする人と、内で「エラクなれない仕事」をする人が、仲良く同じ屋根の下で過ごしています。
 こういう皮肉な感想が浮かんだのも、私自身が定年退職後、義母の介護を数年間経験していたという個人的な事情があったためかも知れません。
 病気が進行中の老人のお世話は、毎日はじめて出会うことの連続で、タイヘンといえばタイヘンですが、面白く新鮮で刺激に満ちた日々でした。あれだけ熱中して過ごし、充実した日々はそれ以前の数年間になかったことでした。
 しかし、そんな自分の経験を語ろうとして周囲の人たちの無関心と無理解の壁に出会うのが常でした。「認められたい」と思って始めたことではないと思いながら、仕事の達成感と世間の評価の違いに釈然としないものがありました。
 あの思いは多くの専業主婦の抱く疑問であり、嘆きでもあるのでしょう。当時の私は「エラクなる(評価される)仕事」を終えて退職した後、「エラクなれない(評価されない)仕事」に従事していたのだ、と今になればよくわかります。

「仕事」というと思い出す小説があります。
『そして誰もしなくなった』(小松左京)という作品で、クリスティの『そして誰もいなくなった』のもじりでしょう。
 「やめた…」
 ある日、総理大臣が辞任すると宣言することから物語が始まります。閣僚の辞職が続き、新聞記者もタクシーの運転手も仕事をしなくなり、自動車も電車も動かず、工場も止まり、食糧の生産も流通も止まり、最後には食べものもなく、動く元気もなくなった人々はごろごろ寝転んでいる…。
 題名から見当がつき、その後の進展までわかってしまって「それだけの話」のように見えるのですが何となく気になる作品です。
 10年ばかり前、ロンドンで地下鉄のストライキに出くわして一日中ナンギしました。そのおかげで二階建てバスの乗り方、乗り換え方をマスターしたのですが、バスやタクシーまでストをしたらどうなったでしょう。
 何となく過ごす日常生活の中で、目立たないけれども大切な仕事、する人がいないと困る仕事があります。社会でも家庭でも、組織にとって生命維持装置のような働きをする仕事、ストップすると困る仕事があるのですが、そのほとんどが「エラクなれない仕事」であるというのは不思議なことです。
小松左京の小説のねらいは、

  いまから思えば、何もかも不思議な事ばかりだ。
  なんだってあんなにみんな、アクセクガツガツしてたんだろう?


と人々が思うところにあり、高度成長期の日本社会への批評になっていますが、私が心ひかれたのはまた別の部分、たとえばこういう箇所です。

  「なんだか、お元日みたいですな」すみわたって、スモッグ一つ、
  騒音一つ、動く車の影一つない大都会をながめながら、ひげぼうぼう、
  垢だらけ、よれよれの着物や服を着た人たちはいいかわした。
  「ははあ、鳥が鳴いていますよ」


 以前どこかで見た光景…60年前、日本がいくさに敗れたころ、どこにでもあった光景です。あのころ、日常生活は物不足で塩や醤油の配給も途絶えて、海岸へ海水を汲みに行ったという話がありました。相次ぐ空襲で大都市は壊滅しましたが、海も山も空も、自然は信じられないほど美しかったのです。工場の煙突は煙を吐くのを止め、自動車が走らない街の空気も澄んで…。
 その後の日本人はガムシャラに働きました。そして公害、大気汚染、自然破壊、地球温暖化。多くの物を手に入れ、生活は豊かになりましたがマイナスもありました。そのなかで多くの人がエラクなっていきました。
 世の中には「する人がいなければ困る仕事」と「困らない仕事」があり、後者の多くは、もしかしたら「しなくてもいい仕事」か、「してもらうと困る仕事」でもあったようです。にもかかわらず、「する」人がなくならないのは、それが「エラクなれる仕事」だったからです。
 道路、ダム、新幹線、発電所、ゴルフ場…。

 人間には、古いものを破壊して新しいものを生み出したいと思う気持があり、それが人類の歴史を発展させてきたのでしょう。
 しかし、自然をほとんど破壊しなかった遊牧民族に比べて、農耕民族は原野を開拓して農地を作り、というような自然改造、時には自然破壊を繰り返し、やって来ました。こういう農耕民族の「原罪」について、われわれはこれまで意識したことがなかったのは不思議なことです。
 
 かつて私が授業をしていた時期の、苦手な授業の思い出がいくつかあります。たとえば漢文で『老子』を読んだとき、「無為」というのが教える私にもよく理解できず、充分な授業が展開できなかったように思います。

  国は小さく、民は少ない。便利な器具など不必要だ。
  民は生命の尊さを知り、遠方にでかけて冒険することの愚かさを知っている。
  …食べる食事は甘く、着ているボロ服で満ちたりて、自分らの住居に安んじ、
  自分らの風俗を楽しみ、近い隣国からは鶏や犬の声もきこえてくる。
  だけどみな死ぬまで、その隣国へすら出かけたことがない。
                   (『老子』第80章)


 こんなに好奇心を持たず、外界に興味を示さず、消極的でいていいのか。これでは人類の発展は止まるのではないだろうか?
 当時の私にとって思想とは、自分の行動に方向を与え、自分の主張の正当性を保障するものである、と考えていたようです。行動にブレーキをかけるような考え方を、思想として受け入れがたい気持がありました。若かったのです。
 今ではよくわかるのですが、人の本性がどうであれ、それを無条件に肯定し、支持する考えだけを取り込んでいると社会は駄目になります。世の中には新しい行動に対して否定的な考えもあり、時にはそういう考えに耳を傾けなければ人類は滅びるのです。
 ときどき立ち止まって自分の行動をチェックする。自分のしていることが100%正しいのかどうかという反省、誤った思い込みに引きずられて生きていないかという問いかけを自分自身に繰り返すことが必要なのです。
 疑問を持つと仕事がしにくくなります。何も考えないほうがよい場合もあります。エラクなった人の多くはそうして来たようです。
 「エラクなる仕事」「なれない仕事」「する人がいないと困る仕事」「困らない仕事」「されると困る仕事」…どの職業が悪いという意味ではなく、どの職業にもいろんな状況、いろんな側面、いろんな仕事があるということを忘れてはならないのです。

 一つの価値観に頼る時代は終わりました。自分の行動をいつも客観的に眺め、自分の内部に「批評する目」を持つことが必要な時代になったようです。


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