大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_10  
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vol_10_01    <のすたる爺通信 7> 森 延哉 

ムクゲ 花言葉=自由      「どうして山に登るの?」
     「なぜならそこに山があるから」

 カッコいいことばです。そして不思議なことばです。
 ヨーロッパの登山家たちが来る以前から山がそこにあったのに,ヒマラヤ山麓の人たちはどうして山に登ろうとしなかったのでしょう。

 「自由」ということばの意味を考え続けて来ました。60年前に教わった「自由」と「民主主義」,きらきら輝く宝石のようなあのことばの意味を自分はほんとうに理解しているのかと問いかけながら…。
 授業で「自由」の意味を訊いたことがありました。正解がなく反対語を尋ねると「不自由」という解答が返ってきました。それでいいのでしょうか。
 私の考えでは「自由」の反対語は「束縛・拘束」だろうと思います。束縛から解放され,しあわせを実感できた時,人は「自由」を感じるものです。
 束縛にもいろいろあります。縛られる,鉄格子の中の幽閉からアウンサン・スーチーさんのような軟禁まで…。これは目に見える束縛でしょう。
 目に見えない束縛もあります。第一は「身分制度」の束縛です。江戸時代,農民の子は農民,士農工商の身分に縛られ職業選択の自由もなかったのです。
 第二の束縛は「病気」です。結核が国民病の時代,正岡子規,樋口一葉,石川啄木…夢を断念し,若くして亡くなった有能な人物のいかに多かったことか。
 第三の束縛は「貧困」です。家庭の経済的事情のため高校進学を断念し,夢をあきらめ…。私の中学の同級生の例です。彼はいま,どうしているのだろうか。
 人類の歴史は身分制度・病気・貧困からの解放の歴史でもあったのです。それが進歩でした。そういう進歩の果てに人は幸せになれたのでしょうか。
 60年前の日本は,敗戦で封建的な家の制度がなくなったとはいえ,病気・貧困による束縛がまだまだ多くの若者を苦しめていました。しかし若者には夢があり,未来は明るいと信じて,その目は輝いていました。
 今は当時と比べようもない豊かな時代で,なんでも手に入り,好きな生き方を自由に選択できます。しかし今の若者たちが自由を満喫し,幸せに日々を送っているように見えないのはどうしてでしょう。 カラー 花言葉=夢
 現在も目に見えない束縛はあります。「迷信・偏見」にはマイナスイメージがあるので,やがて消滅するでしょうが,ナンギなのは「社会通念・常識」です。昔なら「貧乏で進学できない」といえたのが「世間並みに学校ぐらい出てほしい」という親の願いで,不本意な生き方を強いられる勉強ぎらいの学生が多くいます。
 人並みによい学校を出てよい会社に就職し,よい相手を見つけて結婚し,子どもを生んでという社会通念はだれが作ったのか。「勝ち犬」「負け犬」の基準を決めたのはだれでしょうか。
 若い人たちのことだけでなく,現代人を縛っている社会のルールのいくつかは自分たちでそう思いこんでいるだけではないか。常識を疑ったことがないため,なにがおかしいか問題点が分かりにくいのが現代なのです。
 かつてアメリカの大統領が一般教書演説で四つの自由(言論の自由・信教の自由・貧困からの自由・恐怖からの自由)の実現を宣言したことがありました。圧制による貧困と恐怖に縛られている人たちを救おうということでしょう。
 そういえば英語の辞書には<free from>を使った表現が多くあります。「自由」の反対語が「束縛」なら,「○○からの自由」は「○○の束縛からの解放」の意味で,この表現こそ free の本来の用法なのでしょう。
 「言論の自由」「信教の自由」も,人を縛っていた体制の抑圧が消滅し,解放されて自由にしゃべれるようになった,宗教も自分で選べるようになった,という本来の意味を私たちは忘れてはならないのです。
 私のきらいなことばは「義務」と「義理」。「すべきである」「しなければならない」と自分を拘束するものに,これまで私はいくらか妥協し,(ひそかに)抵抗し,闘って来たつもりです。それは私たちの世代に過去の束縛・抑圧のいまわしい歴史の記憶があったからなのでしょう。
 自分が何に縛られ,何に抑圧されているかもわからずに「自由」を主張しても意味がないのです。まず,自分を縛っているもの,自分を抑圧しているものが何かを発見すること。敵がわかって初めて闘うことが出来るからです。 すみれ 花言葉=誠実
 戦後がまだ若かった頃,大人たちに向かって「封建的な制度やものの考え方は敵だ」と反抗した若者の,いかに生き生きとしていたことか。それに比べて反抗する敵を見つけることも出来ず,ウジウジ内向しているのが今の若者です。
 永い抑圧の時代が終わって解放され,活気の溢れる中国,韓国の映画・ドラマに比べ,最近の日本文化が全体に活力を失い渋滞の傾向があるのもそれが原因なのかも知れません。敵はないわけではなく,見つけることができないのです。

 冒頭の山登りの問答は「してもいい,しなくてもいい」と思われていることで,世間の人はしんどいからやめてこうとすることを,あえて「自分はしたいからする」ということの理由づけがああいう表現になったのだと思います。しかしこれこそ人間にとって究極の自由な行為の表明なのです。
 ボランティアがそうです。学校の部活動もそうでしょう。どうしてあんな苦しいこと,成績・点数に無関係なことに夢中になれたか。「すべき」と縛られ,強制されなかったからこそ熱中できた思い出…。(《Because it is there》何てカッコイイひびきでしょう!)だから面白かったのです。それが自由であることのすばらしさだったのです。
 今では家族に縛られ,ローンに縛られ,世間の常識に縛られ,いろんなものにがんじがらめにからめ取られて解放される時間もなく,これではまるで奴隷の境涯ではないかと,どこからかため息が聞こえて来るようです。 いちご 花言葉=愛と尊敬
 自分を縛り,抑圧しているものの正体を見抜くこと,その上でどう対処したらいいか,考えることは多くあります。しかし常識のカベを少し破るだけでも新しい地平が開けて来そうです。自由をわれらに! 奴隷は解放されねばなりません。

 P.S.
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  「おだてりゃ豚も木に登る」という古いことわざもあります。

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                         学年新聞編集部


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