今年の夏は暑かった。東京では「真夏日」が40日続いたといわれていますが,ここでいう「真夏日」とは30℃を超えた日のことで,連日35℃を超えるのが普通の大阪から東京へ出かけると,ずいぶんしのぎやすく感じられます。
連日の熱帯夜とオリンピックのせいで寝不足が続きイライラする毎日でしたが,その間テレビを見て仕入れた知識によると「イライラ」を現代の中国では「心急」と表現するそうです。文字の国だけに面白いと思いました。
しかしよく考えてみると,この「イライラ(心急)」は注文した食事がなかなか運ばれてこない時とか,横断歩道で信号が赤のままでなかなか青に変らない時に感じる気持ちであって,夏の暑さにイライラするとか,勝てない阪神タイガースにイライラする気持ちを表現することばでないことに気づきました。イライラには二つあったのです。
気温が高いからイライラするのではありません。気温が高くて湿度も高いからイライラするわけで,こういう時には今はあまり使われなくなった「不快指数」ということばのほうがピンとくるようです。
不快指数が高いと夜もクーラーをつけっぱなしで,それがまたイライラの原因になり,こんな時には大阪を脱出するのが一番と東北へ出かけ,山寺(立石寺)と松島を見て来ました。「避暑」というにはささやかですが2・3日の小旅行が気分転換にはなりました。都会を脱出するだけでよかったのです。
「不快指数」の高いときには
(1)環境を快適にするよう工夫する(クーラーをつける)
(2)その環境から脱出する(避暑)
この二つにつきるようです。
しかし現在の日本は気象の「不快指数」よりも精神の「不快指数」で悩むことが多いようです。「たのんだチャーハンまだ!」から「今の政治はどうなってるの」「今年の阪神は何だ!」に至るまで幅広くわれわれを悩まし続けるこの精神の「不快指数」たるや個人差が大きく,個人の置かれている状況によって違うというやっかいさがあります。
たとえば気象の「不快指数」の場合,同じ大阪に住み同じ家族で寝起きしている家族全員には共通なものがあり,「暑くなったから冷房を入れて」とか「我慢できなくなったからどこか涼しいところへ逃げ出そうか」と家族の要求が完全に一致します。
精神の「不快指数」は同じ家族の中でも一律ではありません。父親は日本の経済の動向から会社の将来を考えてストレスが絶えないのに,大学に入学した長女は我が世の春といわんばかりに青春を謳歌している。長男は大学受験を前にユーウツになっていて,母親は…。
家族間に共通の「不快」の原因があるわけでもなく,「不快」であるという共通の認識さえ生まれない場合,「暑いからクーラーつけて」のような的確な解消策はありようもなく,「不快な環境から逃げ出そう!」というのはむしろナンセンスでしょう。
半年ほどそろって海外を旅行して帰ってきたら会社の危機は去っていたということはあったとしても,お父さんの地位は保障の限りではなく,まして受験を前に日本を逃げ出した坊やは,帰ると試験は終わっていたものの大学生の資格が手に入るわけもなく受験生のままということになります。
要するに精神の「不快指数」の高いときは,一人ひとりが自分の「不快」の原因と向き合い対決して行くしか方法はないのです。乗り越えるか,やりすごすか,てだてを考え方策を練り,ガムシャラに何かしているうちに「不快指数」が低くなって行くときがあると信じて…。
人間が感じるイライラにはさまざまな原因があり,さまざまな姿があります。「心急」ということばだけですましている中国は,高度成長期に入りかけた時の日本と同じように現在発展しつつある国で,それだけ社会全体が健康なのかも知れません。それが文化的にも活力の充実をもたらしてチャンイーモウをはじめ,すぐれた映像作家を生み出しているように思います。(『冬のソナタ』を見ると韓国も同じような精神的な健康さと文化的活力があふれているのを感じます。)
文明が成熟して経済の高度成長は終り,すべての夢を食い潰したあげくのはての日本,経済的にも文化的にも往年の活力を失い,オリンピックでの金メダルだけに一喜一憂している姿は悲しく思われます。こういう国で多くの人が感じる閉塞感から来るイライラは,現在の中国人には理解できず中国語には翻訳不可能なのかも知れません。
中国経済がさらに発展,成熟し,文化的にも社会的にも閉塞状況が生まれたとき,彼らはどんなことばを生み出すのでしょうか。文字の国だけに興味があることです。
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