2003年11月16日(日曜日)、第25回東京国際女子マラソン記念大会(高橋尚子選手が惜しくも2位になった…)
と並行して開催された、 第25回記念市民マラソンにおいて、
3-6崎原(旧姓 寺西)千恵子さん(以降「テラ」)が見事完走という快挙をとげられました。
約1月後の2003年12月13日(土曜日)、テラに会えることになりました。
42.195キロ…この気の遠くなるような距離を走りぬいたテラに、まずは有志からの花束をプレゼント。
同席下さったキーコこと3-8日下部(旧姓 福島)清子さんと一緒に、感動的なお話をたくさん聞かせて頂きました。
以下、ほんの一部ですが紹介いたします。
中学校の教師であるテラは、30歳の頃にアキレス腱切断という不幸に見舞われて以降、
しばらくスポーツから遠ざかっていたそうです。
が、1993年ごろに、ご主人の友人がマラソンを始められたことをきっかけに、
ご夫婦で一緒に走ってみようということに…。
走るといっても、最初は2〜3キロのファミリーマラソンで、走った後の
武庫川の川辺でのB.B.Qが主な目的だったとか。(^^)
1995年、テラをフルマラソンに向かわせる出会いがありました。
吹田市が主催する総合運動場でのランニング教室。
それまでは、気楽に走るといっても、やっぱりスポーツ。無意識のうちに「少しでも早く…」と
力が入っていたそうです。
「なんでそんなに早く走ろうとするの?もっとゆっくり楽に走ってみたら?」という
コーチの一言が、テラの「走り方」を変えていきました。
・自分に合ったペースでゆっくり走ってみる。
↓
・余裕があるので、周りの景色や風を感じて、とにかく気持ちがいい。
↓
・気持ちがいいので、いつまでも走り続けることが出来そう…。
こうしてテラのフルマラソンへのチャレンジが始まりました。
1996年2月、西脇レディースマラソン(FULL) 3時間41分
普段から、一緒に練習してるご主人のペースで走っているので、
初めてのフルマラソンにしては好タイム。が、直後の転勤で
多忙となり、思うように練習が出来ない時期が2〜3年。
それでも3時間30分を切ることを目指し、目標を月200キロにおいて走り続ける。
2000年8月 北海道マラソン(FULL) 制限時間の4時間ギリギリで完走
ご主人の友人に「大きな大会の雰囲気を味わうだけでも楽しいよ」と誘われ、
気楽に参加。思うようなタイムは出なかったが、この8月に走ったことが、
次のマラソンに繋がっていく。
日頃、目標をおいて走っていても、やはり夏に走るのは厳しいものがあり、
どうしても、走り込めないらしい。が、北海道マラソン後の秋頃から、
走ることがとっても楽になったという。
2001年2月 西脇レディースマラソン(FULL) 3時間26分
目標の「3時間30分を切る」を見事達成。
2001年12月 長居30kmロードレース 2時間17分
2時間13分を切っていたら、翌年の大阪女子マラソンに出場できたのに。残念!
2002年3月 鳥取日本海マラソン(FULL) 3時間22分
ここで現在までの自己ベストをたたき出す。
この公認記録があったからこそ、今回の第25回記念市民マラソンへの参加資格が与えられたのだ。
ところが、2002年5月、中学校でバスケットの審判中に肉離れを起こす。1月ほど休んで、
少しずつ練習を再開。
2003年11月16日 第25回記念市民マラソン(FULL) 3時間33分
11月14日、東京入り。翌日15日は、東京近辺在住の同窓生とお茶などを飲んで
リラックス。この日の東京は気温が低く、テラ自身はもちろん、友人達も、
当日の寒さを心配したそうだ。炭水化物の豊富な食事を取り、明日に備える。
しかし、当日の気温は24℃のドンピカ。
給水をまめにして、とにかく完走だけを目指す。
3時間35分の制限があり、どんどんと交通規制が解除されていく。
振り返ると、先導車に続いてたくさんの車が徐行しながら迫ってくる。
「あの車に追い越されたら終わりだなぁ」などとボンヤリ考えながらも走り続ける。
制限時間にあと2分というところで、見事完走。(^^)
最後にこれからの目標をテラに聞いてみました。
「まず、もう一度、3時間30分を切ること。次は3時間20分、その次は3時間15分。…それと、お天気のいい日に、
気持ちよく走り、今日も走れるという喜びを噛みしめることかなぁ。もちろん目標のタイムは
あるけど、走りきった達成感を味わうために走ってるのかもしれない。」
マラソンへの熱い思いを語ってくださった後、3人で夕食をとることに。
「何がいい?」とテラにたずねたら、「あっさりしたものがいいなぁ。美々卯があるね。うどんすきにしようか…」
テラ、明日の日曜日も走るんですね。(^^) いいお天気になりますように…。
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