オペラの三大テノールといわれたドミンゴ,パヴァロッティ,カレーラスの三人が顔を合わせての「夢の競演」が東京・国立霞ヶ丘競技場であったのは,今からは7年も前,96年6月のことでした。
三人のすばらしい熱唱が続き,終わりに近くなった時,三人が「知らず知らず…」と歌い始めると,会場に大きなどよめきが起こりました。美空ひばりの『川の流れのように』です。これは日本のファンへのサービス・プログラムでした。
いい歌は,だれが歌ってもいいなあと,改めて聴き惚れていました。
ここ十年ばかり,三人は世界各地で公演を行ない,そのたびに「ご当地へのサービス・プログラム」として,その国にゆかりの歌を歌っていたようです。
94年7月,アメリカのドジャース・スタジアム(ロサンゼルス)での公演はビデオで見ることが出来ますが,その時はフランク・シナトラの『マイウェイ』でした。客席の最前列にシナトラが座っていて,自分の持ち歌を三人がみごとに歌うのを,うれしそうに聴いていたのが印象に残っています。
このときの舞台は日本公演とはけたちがいに,すばらしい内容で,ビデオを何度見直しても(聴き直しても)飽きることがありません。三人の技量がピークの時期ということもあるでしょうが,それより,お客の問題,ファンの問題でしょう。
アメリカは,日本とちがってオペラ・ファンが多く,しかも,いろんな演目を見ている人が多いだけに,曲目も日本とは比べられないほど多彩で,また,客席の反応がすばらしく,それが歌い手のサービス精神をかきたてて,さらに盛り上がっていました。
二つの公演ビデオを見た後,心にいつまでも残ることがあり,しばらく考え込んでしまいました。三人が歌った二つの歌(『川の…』『マイウェイ』)のことです。曲としての優劣ではありません。その歌詞,内容のことです。
『川の流れのように』の歌詞は,こうです。
知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道
振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように
ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて(以下略)
人生を「川の流れのように」たとえるのは,別に珍しいことではありません。
『論語』のなかに「逝く者はかくのごときか,昼夜を舎(お)かず」という孔子の有名な言葉があります。「過ぎ去る者は,すべてこの川の水の如くであろうか。昼も夜も,一刻の止むときなく,過ぎ去る。人間の生命も,歴史も,この川の水のように,過ぎ去り,うつろってゆく」という意味でしょうか。
「川の流れ」と「人生」を重ねるみかた,感じかたを,我々は疑いもせずに受け入れて,それゆえに,日本人のだれもがこの曲に共感できます。
「知らず知らず」人生が過ぎていったことに,ある日,ふと気がつく。思い返せば「川の流れに」身を任せ,いつか,ここまで来てしまった。これが日本人共通の人生観でしょう。(「時の過ぎ行くままに この身をまかせ」という沢田研二の歌もありました。)しかし,そんなに詠嘆的でいて,よいのでしょうか。
『マイウェイ』はそれとは対極的な内容です。曲は,以前からよく聴いていましたが,歌詞にじっくり目を通したのは初めてです。
人生に最後の幕がおりるこの時
友よ これだけは知っておいて欲しい
私が充実した人生を精いっぱい生き
そして何よりも 信じるままに歩んだこと
なんというカッコヨサでしょうか。そして「いま,語り残すほどの悔いはない。自分に課された役割をすべて果たし,自分で選んだ道を一歩一歩進んだ。そして何よりも,信じるままに生きてきた」と続くのです。
子どもの時に見た映画で『我が道を往く』(Going My Way)という映画がありました。シナトラの歌の場合も,この映画の場合も,Way は「道路」(road)ではなく,「方法,仕方,流儀」要するに「自分の生き方」ということなんですね。「私は私の道を往く」というのは,自分の流儀で生きてなにが悪いかという強い主張がその裏にあるのです。
二つの生き方があるようです。意志的に,自分の前の選択肢を選び取り,媚びず,おもねらず,挫けずに自分の流儀を通して生きようとする生き方と,川の流れに身をゆだねるように生きていく生き方と。どちらがいい,どちらが悪いと決めつけるわけにはいきません。人はそれぞれ,自分の性格と自分を取り巻く環境のなかで,それこそ自分の流儀で生きていかざるを得ないのです。それが人生でしょう。
私も「志」を持って意志的に生きようと願った時期がありました。しかし,今,感じるのは,流され,流されて,昔,角があったという痕跡だけを残すコンペイトウのようになった自分の姿です。
どちらの生き方を選ぶにせよ,人生の途中で,時々立ち止まって,自分はどういう生き方を選んでいるのか,自分で考えてみる,意識するということが大切です。流れに身を任せて生きて来たというのでもかまいません。自分がそういう生き方をしていることに,自分で気づくことが大事なのです。
若い人たちにとって,これからの人生,いろんなことが起こるかも知れません。しかし,ときどき立ち止まり,考えて,また歩き出すようにしてほしいと思います。
以上は,私が定年退職する直前,校長としての最後の卒業式の式辞の概要です。あれから七年,あの時の卒業生も今は世の中に出て,それぞれ,どういう人生を送っていることでしょうか。春が来ると,いつも,思うことです。
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