大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_04  
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vol_04_02   モントリオールで考えた    なかのとおる 

ワイン  いちばん好きなひとときはと聞かれると、迷わず海外出張帰りの飛行機の中と答えたい。出張の長さにもよるけれど、準備期間をあわせると2〜3週間続いた緊張から放たれるから。空港でアルコールをちょいとひっかけて搭乗し、以前の海外旅行のこと出張中のできごとなどを想い出す至福の時である。その幸せな時間に、この文を書き始めている。(ただし、書き終わったのは、編集部・ちぃままの原稿催促をうけてから…)

 今回の出張は、モントリオールでの学会出張。とはいうものの、いつものように研究発表のためではなく、学会の下見。IUBMB(国際生化学分子生物学連合)という国際的組織が3年に一回大規模な学会を開催する。次回の2006年は、師匠の本庶佑京大教授を会長に開催されることになっている。今年は、本当なら7月にトロントで開催の予定だったけれど、SARSの影響で開催が不可能になり、モントリオールで開かれたHUPO(ヒトプロテオーム学会)と同時開催、HUPO/IUBMBという形での開催となった。そのIUBMBの重要なイベントの一つとして、Young Scientist Program(YSP)というのがあり、世界各国の若手研究者を招待して小さなmeetingが開かれる。2006年のYSPの責任者を任命されており、どういったものかを知るために派遣された、という訳である。だから、税金ではなくて、学会の経費での出張。公用語では、公費以外の場合は、出張ではなくて研修と呼ばれます。どうでもよろしけど。
 専門からはずれた学会で、また、日本からの参加者も少なかったので、めずらしく知り合いの少ない学会となり、寂しくはあったけれども新鮮な気持ちで過ごすことができた。学会の内容はさておき、ノーベル賞の田中耕一さんが少しせわしない感じでひょこひょこ歩いておられるのが印象的だった。黄色のシャツに毛糸のベスト。あれって、ユニクロで見たような気がするなぁ。大手前の一年先輩の貝淵弘三先生(名古屋大学薬理学教授で、日本を代表する細胞生物学者)が参加しておられて、田中さんにサインもらったら恥ずかしいかなぁ、とかディスカッション。やっぱりちょっと品がないかという結論になって、とりやめました。
 YSPは、途上国の若手研究者への援助というのが大きな目的であり、世界50ヶ国から博士号取得前後の若手研究者が百名程度参加。今回は700人もの応募から程度が選ばれただけあって、レベルはなかなかのものだった。海外へ出るのは初めてという若者もたくさんおり、熱心に研究発表や討論をおこなっていた。ほんとうに目が輝いている若者ばかりで、忘れかけていた研究の楽しみというものを想い出させてもらうに十分であった。日本は今、世界中でも最も研究費が潤沢な国の一つになっている。しかし、日本の若い研究者たちがYSPに参加している人たちのような情熱を持っているか、そしてサイエンスを楽しんでいるか、というと、残念ながらそうは言い難い。満ち足りてしまうよりも、満ち足りることを目指している方が幸せだと言ってしまうこともできるかもしれない。が、若手を過ぎ、次の世代の育成に力を注がなければならないようになった年代の研究者としては、少し考えさせられる問題である。と、まぁ、学会報告(?)はここまで。

ぱん  モントリオールは面白い町だった。オリンピックや万国博が開かれたので有名な町ではあるが、人口は百数十万と規模はそれほど大きくない。ケベック州に位置するモントリオールは、フランス語圏に属している。市民はみんなバイリンガルで、とりあえずフランス語で話しかけて、だめだったら英語に切り替えるという戦略がとられているようだ。町は全くフランス風。北米に来たのに、フランスにいるような錯覚に何度もとらわれた。街並みもフランスを思わせるし、食事もおいしい!同じカナダのトロントなんかにはろくな食べ物がないことを考えると全く信じられない。言葉と文化を分かつことができないことはわかっているけれど、フランス語を話すようになると、なんだかおしゃれで美味しい物を食べるようにならざるをえないのではないかと思えてしまう。日本語ではちまちまと、ドイツ語では厳格になってしまうような気も。フランスが北米大陸全体を植民地にしていたら、世界は大きくかわっただろうなどと考えるのも楽しい。
 カナダはアルコールやタバコには非常に厳しく、落語の「ぜんざい公社」みたいに、レストランを除くと、ボトルにはいったアルコールは、ほとんど「公営アルコール販売所」でしか買えないはず。であるが、ケベック州だけは特別で、あちこちで売られている。タバコに関しても、規制が非常にゆるいようで、街角で吸っている人もたくさん見かけたし、レストランなんかでも喫煙席の方が多そうだった。ケベック独立問題というのは、なかなか難しいとは聞いているけれど、こういった文化の違いというのが根本にあるに違いないと納得。個人的には、フランス語がわからない以外はケベックがいいなぁ。

ワイン&オイスター  今年海外出張に行ったのは、マウイ(!)、フィレンツェ、シアトル、そしてモントリオール。どの町でも、観光客だけでなく地元の人もそぞろ歩いてる。そしてカフェーで楽しんでいる。出張で一人ぼっちでも、ぶらぶら歩いてカフェーでアルコールをたしなんだりすると、とても幸せな気分になってくる。シアトルで沈んでいく夕陽を見ながら白ワインでオイスターを食べたりしていると、もう世の中のほとんどのことがどうでもいいという椎名誠的どうでもええけんね恍惚状態にまではいっていくことができるのだ。
 どうして日本ではそういうところがないのだろうかと考えてしまう。文化のせいだろうか、それとも、単に人が多すぎるせいだろうか。原宿は表参道のカフェーなんか、せせこましくて、全然落ち着かないからなぁ。大阪でもなんとかならんかねぇ。なるとしたら中之島界隈の川沿いか大阪湾やろうか。中之島ブルースみたいに恋をすてる島とか、大阪ベイブルースみたいに幸せをみんな捨てに来るような港やったら(どっちも古い…)無理かいねぇ、とか思いながら、モントリオールのカフェーでバッファローのステーキをほおばって赤ワインを飲んで、どうでもええけんね恍惚状態にはいっていったのであった。ちなみにバッファローは初めてだったが、ぱさぱさの牛肉みたいで、いかにもバッファローっぽかった。 もみじ
 今回の出張は、持ち物で完全に失敗した。出発前にモントリオールの気温をYahooで調べると、最高気温10度くらいということなので、こりゃぁ寒いと思って、コートやら冬物をどっさり。ところが、ついたとたんにIndian Summer(小春日和)とかで、最高気温が20度を超える毎日。そのせいもあってか、モントリオール市街の紅葉には早すぎた。学会を一日くらいぬけて、近くの高原へ観光バスで行くつもりにしていたけれど、用事に追われてそれもままならず。帰りはトロントまで列車で移動して、せめてもの紅葉観光。夕暮れ時に赤や黄色に色づいた木々が美しく楽しめた。

 若いころはどこへ行っても、また来る機会があると思えたけれど、この2〜3年は、どこへ行っても、もうこれが最後かもしれないと思えてしまう。野田正彰のエッセイ集に、「これまで何年生きたか、から、これから何年生きられるかが気になる時期」とかいう中年の定義があったけれど、旅行に行った時の、この「もう来ることができないかもしれない感」というのも同じようなものかと思う。しかし、紅葉のカナダ、いつかきっと再訪してみたい。その時は、出張や研修じゃなくて、やっぱり自由な旅行がいいね。


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