大阪府立大手前高校昭和50年卒同窓会     学年新聞vol_01  
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vol_01_03   フィリピンの大地に根ざして (森田氏の活動報告) 


今回は、「同窓生の活躍紹介第一弾」として森田剛さん(3−4)の活動を紹介しよう。 1991年からのフィリピン駐在を契機に有機農法を志し、ついには当地で起業。リサイクルに基づく農業体系に向けて夢の実現を目指す森田氏。 その一端をかいま見て、我々も「夢の力」に与るべし。

人間が生きていく上で「原点」となるのは農業である。 さまざまな副産物をリサイクルして生きてきた先人の知恵に学び、かつ新しい「21世紀型の農業」を確立することが森田氏の夢なのだ。 <汗と努力は必須条件>と言う彼の活動の地は、1991年に噴火したピナツボ火山(フィリピン)の火山灰地である。

クリックするともとのサイズで表示 噴火そのものは記憶に新しいところだが、その被害やその後の状況についてはあまり知らない、というのが日本にいる我々の現状ではなかろうか。ピナツボ火山の噴火によって、パンパンガ州だけでも約12万ヘクタール(3億6千万坪)の農地が灰の下に埋もれたのだという。 もはやこの広さは我々の想像の埒外だが、森田氏が可能性を見出したのはこの火山灰地だった。

■ MONOPORT TRADERS inc.(MTI)設立

1997年、味の素社とJICAの間で、フィリピンにおけるバイオサイクル計画が持ち上がり、森田氏はこの計画にフィリピン側の代表として参加した。当地での農業に大きな可能性を見たのはこのときだったと彼は言う。

京大の農林生物学科を卒業後、「ただただ海外に行きたい」というだけで丸紅に就職した(それだけで一流総合商社に行ってしまうのもすごいんだが)と述懐する森田氏だが、91年にロンドン駐在からフィリピン駐在となり、レイテ島の砂糖工場の経営に参画していた。 この経営参画で、それまでは相場として観ていた「砂糖」が、「自分でやってみたい」ことに変化する。 96年にはフィリピン駐在を終えて東京に戻ることになっていた彼だが、自分の夢と目標を形にする最後のチャンス、と見極めて丸紅を退職、97年5月に MONOPORT TRADERS inc.(MTI)を設立したのである。夢を追いかけるに当たって、時を得たアドバイスが背中を押し、妻君の理解が彼を包容したのは言うまでもない。

■ リサイクル=企業戦略

どうも「リサイクル」というと「環境にやさしい」などと付加価値的な印象を我々は持つが、森田氏の中ではむしろ実際的かつ戦略的な意味を持つようだ。 味の素社のバイオサイクル計画なるものも、もともとは「困り物」の処分に端を発しているのだが、副産物(廃棄物)の価値を見直し、これを積極的に使って有機農法を行えば、火山灰地での農業に競争力をつけられる…彼はそう考えたのである。 「有機農法は高くつく」という日本での常識にとらわれず、有機だからこそ火山灰地の復興が可能なのだという、言わば逆転の発想と言えよう。「ゴミ」というマイナスの価値をプラスにして利用するという着眼点は、聞けば当然のことのように思えるが、それを実践して起業してしまうところがパワフルである。(本人に言わせれば「無謀」なのだそうだ)

もっともこのような言われ方は彼にとって「こそばゆい」か「うざったい」ものであって、彼自身はまことに自然に、もっとも効率の良い方法を行っているだけなのかもしれない。あるいは、自分の信念を淡々と実行しているだけなのかもしれない。ぜひ本人に確認してみたいところ。

■ 拡がるMTIの夢

クリックするともとのサイズで表示 とは言え、日光は充分あれど、水利が問題という土地にあって、土壌改良は並大抵の苦労ではない。 日本の中古機材を使いつつ井戸を掘り溜池を作り、<保水できる土壌>のために有機肥料やミミズの養殖などさまざまな方法を駆使するのである。 これまでは堆肥の原料として
 ★製糖工場の副産物(バガス) ★味の素工場の液体肥料
が使われ、成果を上げているが、さらに、樹皮・木片・稲わら・アルコール工場の廃液・鶏糞・卵殻なども堆肥の原料となるのだそうだ。 ちなみに火山灰地では一般の化学肥料の効果はあまり得られない。すぐに流れ出してしまうからで、堆肥を入れて保水性の高い土壌を作り出さねばならないのである。

クリックするともとのサイズで表示 こうした試みを経て、2001年までにはこの地で農業ができることの確信を得た、と彼は言う。 現在はサトウキビやタピオカなどを栽培するに至っている。バナバ(糖尿病に効果あり、と着目されている)という樹木やサツマイモなどにも手を広げているそうだ。(火山灰地といえばサツマイモ、やっと馴染み深い作物の名が出てきた…) あらゆる「リサイクル可能」な原料を利用することによって、低コストで土壌を改良し、環境リサイクルも同時に行い、また溜池では将来サカナの養殖も…と森田氏のアイデアは限りなく広がってゆく。

日本の遊休工場を移設する試みもなされている。 沖縄から移設した製糖工場は、約150名の就業と農場での就労を生み出した。 発展途上国にとっては、こうした遊休工場も「宝の山」なのだ。

■ 課題はあれどさらなる夢へ

「今後、面積を広げて国際的なリサイクルに進んでゆくことが目標」という森田氏。<自然の力>を味方にすれば、環境・リサイクル・貧困・食糧問題などを解決する道を見い出すことができる、と確かな手ごたえを感じているようだ。

しかしもちろん課題がないわけではない。 具体的には地元の技術者の技術向上、井戸掘りなどの問題があり、そしてやはり「人材と資金」。どんな企業でも抱える課題ではあろうが、彼の会社も例外ではなく、土地開発の初期投資の資金は特に大きな課題と言える。

MTIの他にも事業を展開し、かつ味の素フィリピンとSGV(監査法人)のコンサルタントをもこなしながらの彼の日々は、非常に忙しい。また、時間のかかる分、農業には我々の想像を超える困難もあろう。 それだけに、フィリピンの大地に根ざす彼の活動は、ユニークかつ発展的なものと感じられる。同窓生として尊敬もし、誇りにも思い、その成功を我が事のように祈りたくもなる。彼が成功すれば、世界もなかなか素敵じゃないかと思ったりもする。その行く末をずっと見守っていきたいものだ。 これを機会に、また彼自身の活動をこのHPを通じて知ることができれば幸いである。

■ 以下、森田氏からメッセージを頂いたので掲載します。謹聴!

理論上では昔よりリサイクルは成り立っています。 江戸時代はその典型ですが、現代はそうではありません。 現代に、このモデルを商業的な規模で確立させるというのが私の現在の目標です。 高校時代よりの無謀さも、天邪鬼の性格も変わっていません。 ただ人間には、各々の物差しがあるので、私のような鯨尺があってもよいと思っています。

■ 彼の事業、活動に興味を持たれた方はぜひご連絡ください。

連絡先     MONOPORT TRADERS inc.
        (農機具等の輸入販売・農場開発事業)
住 所     Room714 NATIONAL LIFE BUILDING
        AYALA AVENUE、MAKATI CITY,THE PHILIPPINES
電 話     63−2−840−5847
F A X      63−2−892−7286
e_mail     t_morita@pacific.net.ph
代表者     森田 剛(もりた つよし)

■ 森田氏プロフィール

略 歴     1957年1月21日 大阪生まれ
        大手前高校ではバスケット部所属
        京都大学農学部農林生物学科卒

職 歴     1981〜1996 丸紅砂糖部
        海外勤務  1985〜1989 ロンドン
              1991〜1996 マニラ
        1997年 5月 MTI設立
        2002年12月 G.O.D. FARM 設立
        (GOLDEN OPPORTUNITIES DIVERSIFIED FARM)
        コンサルタント兼務(味の素フィリピン・SGV)

家 族     妻・一男一女(2002.11現在)